第18回社会人大会 2008/9/14

初めに 実戦競技 法形競技 終わりに

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初めに
 
 今年の社会人大会は過去最高の参加人数だった。年々人数が増加してきているのを感じさせる。自分が出場した時は50名程度だったが、今年は何と160名以上も参加者があったようだ。
 気軽に誰でも参加出来るのが人数が増えた一つの要因ではないだろうかと思う。
 しかし個人戦のトーナメントが学生大会並みの人数だったのには正直驚いた。

実戦競技
 今年は昨年の反省を活かし、前日に酒を飲むのを控えた。
 バスでの移動は確かに疲れたが、昨年のように試合に支障が出るような事は無かった。
 さて、今年の目標として、心が動揺しないようにしようと心がけたがやはり緊張してしまった。自分の試合がもうすぐ始まるなと考えるとどうしても心臓の鼓動が早くなってしまう。まだまだ精神修行が足りない。木鶏には程遠いと言わざるを得ない。
 試合自体は三回戦まで駒を進める事が出来た。
 去年より練習時間が取れるようになっていたので、動き事態はそこまで悪い感じではなかった。只、どうしても特定の技に拘ってしまい、自由な動きが出来ず、また相手の中に入る事も出来なかった。体力的なものに頼って強引に捻技を掛ける事もあった。
 勝ちたいと思う欲心がこれらの無駄な動きをさせるのだと思う。
 これからの稽古でもっともっと欲を取り除き無心になれるように頑張らねばならない。
 そう言えば今年は久し振りに審判の判定に不満があった。
 兎に角水平蹴りは取らなかった。どんなに綺麗に決まっていようとも。飛び蹴りも同様だった。いくら何でもそれは無いだろうと思った。
 また、選手同士が揉み合っているのに中々止めの合図をしなかった。
 危険防止の意味も込めてもっと早くに止めるべきだ。そうすればもっと怪我は減ったかもしれない。
 揉み合いになった時は素早く選手の間に入り、選手同士を引き離す様に務めてもらいたい。
 審判のレベルの向上も、もっと頑張って欲しいものである。

法形競技
 個人戦は初戦敗退。こちらも実戦競技程ではないが少々緊張してしまった。
 蹴りの時に躰軸が曲がっていたと思う。また、蹴りに気を取られてしまい軽い蹴りになっていたと思う。どうも見て下さいと言う気持ちが出てしまう。
 諸手下段は全くと言って良い程出来ていなかった。分解をすれば多分技が決まらなかったと思うし、両手が死んでいたと思う。
 因みに今年の躰道の主題は運体と言う事なのだが、自分が見た選手の中で前蹴りが出来ている選手は一人も居なかった。皆躰軸が曲がっていた。スポーツ、武道両面から見てもこれは情けないと感じた。
 また、加足の突き手から刺し手の出来ている選手もいなかった。皆胴がガラ空きだった。今まで基本を疎かにしてきたツケが出ているのだろう。
 今回はこの競技をスポーツと武道、両方の目で見た感想を書いてみようと思う。
 先ずスポーツとしてだが、体育的要素としては上下動があり、躰を鍛える面では優れた効果があると思う。夏場等の暑い環境時に法形を鍛錬すると、翌年の春頃には自分でも驚くほどの体力の向上が実感出来ると思われる。
 また、高度な運身を習得する事により、身体感覚、能力が向上するので、そう言う面では良いと思う。転体であれだけの動きをして軸がぶれないようになるのは良い事だと思う。
 しかし武術として見た時は全く赴きが違ってくる。昔日の達人諸氏が見れば、これはダンスなのかね?と尋ねてくるような気がする。
 何故か。
 理由は、上述したように、諸手下段払いが単純に腕を下げて二段蹴りに行っているだけだからだ。あれでは分解をした時に余程の力持ちでも無い限り二段蹴りにはもっていけない。二段蹴りにしても本来はあそこまで高く蹴る必要は無いのである。
 そして今回も特に目に付いたのが前蹴りだった。
 前蹴りは単純な動作で誤魔化しが効かず、出来ているかどうかがわかりやすい。皆蹴り足に意識を捕らわれ軽い蹴りになっていた。
 また膝が上がっていない選手もちらほら居た。色帯ならばまだ言い訳も許されるが、黒帯であれでは他武道に馬鹿にされても言い訳は出来ない。前蹴りがまともに出来ない黒帯は白帯からやり直す意識をもって稽古に励んでもらいたいと思う。
 引き拳も同様に目が付いた。
 あの引き拳では拳が出せないし、単純に引く事によって胸が張ってしまうのである。あれでは姿勢としては及第点をあげる訳にはいかない。
 構えも無駄に低いだけであって、真の意味で腰が落ちているとは言えなかった。あの構えの状態で抱え上げたら簡単に持ち上げる事が容易に想像出来る。腰を落とすと言うのは物理的に足を曲げて低くする事ではない。腰を落とすについては、リンク先の「武道上達法研究会」に書いてあるので、そちらを参照して頂ければわかると思います。
 今後躰道が武道として道を歩んでいこうと考えているのなら、早急に構えや引き手等の基本を180度見直さねば、一生武道としてやって行く事は不可能だろう。

終わりに
 
今大会はかの有名な「木鶏」を目標に試合に挑んだのだが、「木鶏」の心境にはとてもではないが至れなかった。
 試合はそのような心境になれる修行の場として捉えると、自ずと意味もまた違ってくると思った。
 約三ヵ月後に全日本大会があるが、少しでも木鶏に近づけるように今後の稽古に励んで行きたい。

2008/09/16 (火)  作成